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プレミアム講座 「縄文土器とは何か ~縄文土器をより深く楽しむために~」 2022.01.18開催

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昨年度から2年にわたって殆ど活動を停止していたイベント・プレミアム講座を久々に実施しました。(昨年度は2020.11.18 新井浩文学芸主幹による「新収集品展より」一件のみ開催。1年前の1月に予定した講座は緊急事態宣言期間の延長により直前に中止。今年度は初めての計画。) 今回は村田章人館長のご専門分野・縄文時代の研究史にも関わる内容で、縄文土器を根源から問い直すテーマです。定員制限の中でも64名の多くの方にご出席いただきました。         タイトルにあるとおり、縄文土器の根幹を理解するために昭和初期の山内清男の研究などを例に、博物館で展示品に添えられたキャプションをどう読み取るかなどを具体的に説明されました。考古学の研究発展史にも関連して専門用語の命名の仕組みを分かり易く教えていただきました。また、縄文の文様がどのようにつけられたかを紙のこよりを使って簡単に実験する方法も伺いました。 約1万年の長きにわたり、日本各地に様々な形態の縄文土器を生み出していることをどう理解すべきか?単に”日本の美の原点”と一括りに言っていいのか?その後の日本人の感性との差に釈然としない講師の感想も最後に吐露され、味わい深い講座を終えました。   なお、本講座のテーマに因んで、当会の岩井会長が保管されている縄文土器3点(氷川神社の遺跡から発掘)を展示しました。   プレミアム講座の受付風景。 関係者の配慮により無事開催できました。 (nimo)  

杉山城見学会(嵐山町)―まち歩きクラブ報告

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  嵐山町の山城・杉山城―まち歩きクラブ 戦争といっても500~600年前のこととなると、歴史の時間の中で血と殺戮のにおいは消えてしまい、一種のロマンになってしまうのが不思議です。そうした雰囲気を感じさせてくれるもののひとつが日本の各地に残されている城郭―特に自然の中に放置されたような山城で、埼玉県の北部はそんな遺構がたくさん残っている地域です。春の一日、そんな山城のひとつ埼玉県嵐山町の杉山城跡を見学し、その前後に2つの石仏群(町指定)を訪れました。 午前10時、武蔵嵐山駅に集合、参加者は20名。まずは線路沿いにやや歩くと広い道路に出会います。ここが比企地域の歴史にも深くかかわる(旧)鎌倉街道で、そこからすぐ、静かにたたずむ「志賀観音堂の石仏群」があります。地元の太子講奉納の聖徳太子石造やいくつもの庚申塔など町指定の文化財を鑑賞・調査、シダレザクラに迎えられ付近の里山風景にも自然に溶け込んでいい感じです。 そこから市野川を越えた河岸丘陵の上にある嵐山町役場を訪れました。ロビーで杉山城の解説ビデオを流していただき、じっくりと知識をインプットした後、再び市野川沿いの道を歩いていよいよ杉山城へ向かいます。 杉山城は、直下を通る鎌倉街道を見下ろすような丘陵の尾根上に多数の郭(くるわ)を配置した山城ですが、規模はそれほど大きくはありません。中央部の本郭を中心として北・東・南の三方向にそれぞれ二の郭、三の郭を梯段状に連ね、大手口に面しては外郭と馬出郭、井戸に面しては井戸郭が配置されています。小さいながら、主に土で形成された急角度の土塁と城郭や深く掘られた空堀は見た目でもわかるように入り組んでおり、攻め寄せる敵にとっては迷路であることがわかります。城郭考古学者の千田嘉博氏が「絶対に攻めたくない山城」で1位に選んだというように、各郭には様々な工夫が凝らされており堅固な防御力と敵への攻撃力を誇っています。上の写真は井戸廓の下にある本物の井戸。城の最後に際して石の蓋をしたようです。下の写真は本廓直下の空堀。本来の溝はもっと深く、上には防柵などもあったでしょうから徒歩での攻撃は難しかったと思います。現在からみれば子供の遊びにもみえるようなスケールですが、弓矢、槍、刀での血みどろの戦いが想定されていたのです。 写真3 この城が成立した、日本の戦国時代(室町幕府の時代)の初めころ、関東
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